【雑記】情報としても残す大切さ

去年友人のお兄さんからメタルマックス2Rと4をお借りし、2Rがすんごい楽しかった。ぬるぬる動く敵、圧倒的な力の差を思い知らされることになるデッド・ブロイラー様、そんな強敵たちへ対策を投じ、自分好みの戦車にカスタマイズ出来る自由さ。もう虜になりました。ほんに面白かった。

そんな中やっていたら手に入る「謎のゴム風船」というアイテム。まあ明らかに避○具のコン○ームだということは分かるのですが(ここらでアドセンスから警告を受けないか不安になるので伏せ字に)、確かに北斗の拳の世紀末のような大破壊後の世界のことを考えると、人間の繁殖は非常に大切で必要なことなので、寧ろその文化はなくなるようにも思えますし、そもそも主人公が子どもだから知らない、というのも納得です。


……導入としてはサイテーな感じもしますが。情報として残されていないとなると、正しい用途、方法が分からないということに陥るということだと思います。それは説明書もない状態で購入したレトロゲームをやっているとなおのこと感じます。



そんな中、最近ミカドの定期配信を観たりしているのですが、スペランカーでのプレイ中、まさしくそのことを指摘しています。

兄が家を出る前に「昔クリア出来なかったゲームを一日1本クリアしよう企画」をしていました。ファミコンの火の鳥にて全く行けそうにないワープゾーンがあって、そこに行くのに「しゃがみながらジャンプで壊せる」という基本動作を初めて知ったのが、行き詰まってGoogle先生に聞いてみた結果でした。つまりは記録として残っていないものだったら、クリア出来ずに終わっていた、ということになります。

自分のブログだけではなくて、他の誰かのそういった、何でもないものでもいいので記録として残ったものが役に立つ日が来るんじゃないかなとも思います。ゲームもそもそも生きる上では必要のないものですから、そんな中でも希望が見えたらーーそれは素敵なことなんじゃないかなと思います。