一ヶ月ほど落ち込んでいた話



病院で診断を受けてないのでうつ病ではないです。そうだと思われる節を垣間見えるとのことでしたが、行くつもりもないです。

ただ明らかに自殺願望というより、死が自然と歩み寄ってきて、耳元でそうしろと常に囁かれているようでした。現にそれで自殺を試みましたが、ありがたいことに、赤の他人であるのに、優しく接してくれた人のおかげで自殺未遂どころか、それを未遂で終わらせることが出来ました。

念のため、その期間のことを振り返るためにもここに記しておきます。自分はこうでしたという後悔日誌です。


○過去を振り返ってばかりいました


過去のことに対して囚われているのが常でした。

救いを求めるという意味で小さな頃からぼくはMOTHERをプレイすることにしてましたが、心が動かなくて焦りました。ゲームのみならず、映画、本、絵画、音楽、全てにおいて同様で、今まで自分が触れてきた作品を振り返ることすら嫌になる始末。結局好きだった作品には触れないようにしました。

ただ、何もしないわけにはいかないのです。常に死にたいと考えてしまうか、過去での失敗がどんどん思い出されてしまうので、また何も出来なくなることの繰り返しになってしまうのです。

○別のことをしてみようと試みる


別のことをやるにしても普段より数倍以上時間が掛かるものの、まだその方が幾分気が楽になるように感じました。

自分は普段からゲーム、音楽が生きる上で必要なものであると根本的に感じてはいたので、それらを中心に、新しい作品に触れることにしました。新しいといっても、過去に買ったまま積んであったものをやってみたという感じです。出来ないことばかりだと感じたら、更に落ち込む前に、確証を持って無理なく出来ることを振り返ってました。

その中でも音ゲーをやっていて分かったのは、反復練習とパターンの組み合わせが基本であるドラムは無意識のまま問題なく出来るものの、弐寺DPは譜面すら全く見えず、脳の処理が追いつかないことが分かり、これは大きな発見でした。つまり、脳の処理が低下するのだな、というのが体感出来たわけです。

改善において一番効果があったと感じたのは、人と会話することです。何でも、というわけにはいかず、天気や体調を訊ねるといった、他愛ない会話が良かったです。好きなものについての話はしない方がいい、というより頭が働かないのですることが出来ません。挨拶から始まる2分程度の会話ならそこまで考えずとも出来るのと、相手との会話に意識を向けるため、負の考え事をしてる脳を一時的に休めてくれます。

憂鬱な気持ちの問題というのは、根本的に死について考える思考です。なので、それを遮るのが手っ取り早いものです。

○原因を知る


死ぬこと以外考えられるようになったら、原因を探ってました。そこに至るまで時間がかかりますが、避けるための手段が浮かぶので、それを適用するためです。

原因は五つほど。

  1. 性的欲求がなくなった、また他人に対して求める愛情、他人が求める愛情の相違に疑問を感じたため
  2. 一つ一つの事象に対し、共通思念としての概念を持てなくなったため
  3. 喪失による虚無感のため
  4. 友人、知人、その他大勢の怒りや悲しみばかりが蔓延していたため
  5. 肉体的、また空間において一人でいることを望むのに、一人にさせてはもらえないため

1と2は「未来永劫、お前はひとりだ」と突きつけられた気持ちでした。よく考えてみれば、小さい頃からそうでした。孤独ではないですが、価値観から言えば常に一人です。
一人であるということが辛いのではなく、生涯、人並みの愛情を家族以外から受けることはなく、許されないのかという悲しさです。

3は既に二年ほど前からこの世の中から無くなっているものに対してなので、足枷にはなっていますが、これが引き金になっている、というわけではないです。ただ、これをどうすることは今のところ出来ません。

4は日常においてもSNSにおいても、ただそれを吐き出すのが一般的のようです。僕はしませんので、この部分は2にも繋がってきます。

5について、元よりぼくは一人を好む人間です。それでも両親、兄弟、知人が、必要もないのに自分の時間に割り込んでくるのが苦痛になってました。

友人であれば話は別です。好きな人間と関わることは好きなのです。ただ、自分がこんな状態だと相手に迷惑をかけるのと、その姿を見て失望されてしまうことが目に見えてました。それに負の感情、事象は相手へ簡単に伝染します。だからそれを晒すことになるのであれば、避けるのは当然のことだと考えています。


○身体のこと

不眠症というわけではないですが、明らかに睡眠の質は低下しています。一向に眠れる気配がなかったり、逆何時間も眠れたとしても脳も体も疲れていました。
ちなみにぼくは夢日記をつけている人間ですが、夢もわりかし多くみていました(その間に見た夢は記録したくないものばかりだったのでしてません。大抵は恐怖か地獄のようなものばかりで、飛び起きることも度々ありました)。
また、何もしていない時は「死にたい」としか考えられず、あまり眠れた実感もないまま目覚めれば「まだ生きてしまっている」「死にたい」としばらく動けないことが多かったです。ふとしたときにその感覚が重荷になって、歩けなくなることもありました。

パニック障害というのもあったようで、寝転がっていると、心臓が止まりそうになる錯覚を覚えます。起きていても胸部に違和感が常にあり、カバンを背負ったりしても「胸元に穴が空いているんじゃないか」と触って確かめることがしばしばありました。これはある程度回復した今でも残っています。

短期間のうちに体重の増減も激しく、一ヶ月で±3kgを繰り返していました。食欲がない(そもそも味覚がなくなっている)ので筋肉が壊れる、動けないことも相まって筋肉量が低下、そして食べられるようになったときに脂肪に変わっていくという悪循環でした。

一番問題があるのは、物事を記憶することが難しくなったことです。先ほどあったことすらどんどん頭から抜け落ちていくので、普段記憶力に自負があったぼくとしては、大いに落ち込む原因の一つでした。ただ、原因を考えられる程度に回復すれば、記憶力はすぐに戻りました。

○回復した要因


死にたくなったのは唐突でしたが、回復したのも唐突でした。

というのも、原因として上記に挙げたものに対しての答えを、BEMANIシリーズでお馴染みのあさき氏が、アルバム「天庭」より”散るを踏み 残るを仰ぐ”にて述べられていたことに気付いたからです。


あさき氏はインタビューにて「決してネガティブにはならないでください」と述べています。当時の僕はそんな風に考えられないと思っていましたが、今ならこの歌は、彼の楽曲で一番ポジティブに感じ、沢山の元気をもらいました。

その意味は他人に話しても納得しないとは思いますので、ここには書きません。けど、僕には間違いなく救いの歌でした。ネガティブに捉えられてしまうかもしれませんが、未来永劫、僕はひとりです。ありがとう、あさきちおじさん。

○Apple Watch



この状態になる前、Apple Watchを購入していました。恐らく、これがなかったらもっとひどい状態になっていたかもしれないと思います。

Apple Watchには心拍数を計測することが可能で、それを見ることで自分の状態を可視化することができます。






憂鬱な状態では呼吸が細くなるため、心拍数が増加します。なので、深く吸うためにも定期的に通知される呼吸アプリによって、何度か気持ちをリセット出来ます。したくなければそのまま無視できるという、無理に義務化しなくて済むのも良かった点です。

飲まず食わずの時もあったので、水を飲むことを促してくれるアプリのおかげで水だけは摂取できたりしていたので、健康に気を遣うのであれば、Apple Watchはいいものだなと、今改めて感じています。

○一番良いこと

結局、一番はこうなる前に人に会うのが一番だと思います。上記にもありますが、話をしているその間、心が少しずつ軽くなっていくのを感じました。その時間を取れるのとないのとでは、全然心持ちも違います。

Pixivにて、うつ病であることを漫画にした中野氏の作品にも、そのことが触れられています。

恋人や配偶者がいるのなら、その方に頼るのが一番です。会ってくれる友人がいるのなら、会うのが一番です。僕はそれを出来ませんでしたが、回復してから友人と会ったとき「もっと早く会っていれば良かった」と思いましたから。

○最後に

今のところ、死にたいとは思っていません。けど唐突に、やはり軽度であっても何度かそのような心境になることがあります。

この先も何度か重荷になることがあるのだろうとは思いますが、そのときにはまたこのように記しておきたいと思います。何とかそれまで、僕は生きてみようとは思います。